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時事随筆

TwitterやFaceBookでは書けないニュースの感想を垂れ流します

感情だけで弱者保護を訴える「知性の貧困」

3Pもあって感情論しかないとか、久々に感動しましたね。
仮にもこれが新聞記者の書く記事なんでしょうか。社会保障の持続可能性を議論して、弱者救済を訴えるにあたって必要な数字が出てこない事に恐怖を覚えますね。

yomidr.yomiuri.co.jp
はてなブックマーク - 貧困と生活保護(41) 貧困者・弱者をたたく「精神の貧困」 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)


著者は理由に1から5までの理由を挙げています

第1は、弱い相手、反撃しにくい相手をたたくことによって、優越感を得ようとする心理です。端的に言うと「いじめ」です。

第2は、ねたみ、やっかみです。
 生活保護の利用者に対しては、働かずにお金をもらえていいなあ、自己負担なしで医療を受けられていいなあ、と見る人たちがいます。自分たちは懸命に働いてお金をかせぎ、その中から様々な負担もして大変なのに、というわけです。

第3は、他者に対して厳しくしたがる考え方。これは日本人ではかなり多いでしょう。とにかく必死に努力しろ、苦しくても我慢しろ、泣き言を言うな、限界までがんばれ……。そんなふうに考える人々が好む言葉は「甘えるな」です。

第4は、自己責任論です。自分の生活を成り立たせるのは自分の責任だ、働いて稼いで自活するのが社会の基本だ、働く能力がないならともかく、働けるのに食っていけないのは自己責任であって、救済する必要はない――そういう主張です。

4つめまでの理由は論ずるに足りません。社会保障の持続可能性を議論するにあたって、なんの参考にもならないポジショントークでもあり「人格攻撃」でしかないので、著者が記事につけている「精神の貧困」とやら、そのものでしょう。

第5は、社会保障の費用負担をめぐる争いです。これは最も現代的な課題でしょう。

ここまできて、やっと本題か・・・と一息つくのも束の間

社会保障費が増大すると財政負担になる、すると、自分が納める税金や社会保険料の負担が増えるから、気に入らない、だから社会保障費を食いつぶしている連中をやっつけろ――という発想です。

完全にだいなしですね。最初から最後まで、かわいそうだと思わなのか?だけです。


社会保障の持続可能性については各種の資料があるので、必要に応じてみていけばいいでしょう。
普段からも、またこのブログでも言っていますけれど、私自身は無制限の予算があるのならば全ての人間に必要なだけの補助をすればいいと考えています。
しかし残念だけど、そうはいかんのです。
blogos.com
生活保護の現状と生活保護費の将来見通し
記事とPDFでも触れられていますが、この20年で生活保護費は役倍に増えており、現在は3.8兆円にも上ります。今後は、老人が増えていく上に国民年金の納付率も低下している事などから、GDP比での負担額は更に上がる事も予測されていますし、2025年には5.2兆円に達するとの予測があります


business.nikkeibp.co.jp
総務省|平成25年版 情報通信白書|超高齢社会がもたらす課題

一方で医療費については、更に絶望的で、この財務省が出しているグラフを見ると絶望したくなります。現在40兆円を超えた医療費は、2025年には50兆円を超える予測があります。2011年の資料によると(https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/f01_2011_02.pdf)

現在の医療給付の水準が変わらない前提の下でも医療費は増加を続け、2060年の医療費対名目GDP比は11.7%と2008年の約1.6倍になるという結果となった(図3)。また、将来の費用負担の内訳を見ると、公費投入額の大きい後期高齢者医療制度の加入者割合がさらに増加すること等から、公費負担割合が増加し、2060年には医療費の半分弱(46%)を公費で担う姿になっている

ここに書かれてい数字には、寒気を感じるばかりです。総務省の予測は次の様にもなっていて、少子高齢化は進みGDPは下がっていく一方になる事も懸念されています。

我が国の生産年齢人口は1990年代をピークに減少の一途を辿っており、2030年には2010年比で約1,300万人が減少し、2050年には2010年比で約3,100万人が減少する見通しである

という事ですから、歳入は減る一方なのに社会保障費は増大する一方であるという事で、このままいけば制度を維持する事など不可能なのは自明です。



完全に制度が破たんする事が予測されている、しかしながら、社会福祉を完全にやめる事は出来ないし、それは誰も望まないという状況にあって、「いじめ」「ねたみ」「甘え」「自己責任」といった言葉で制度維持を懸念する声に批判を加える事に対しては「知性の貧困」という評価を与える以外にありません。


制度を維持していくには費用の切り下げ、補償範囲の制限などが行われることになるでしょう。しかしながら、それを行う前に、不正受給を含む必要ない出費を抑えるべきでは?という主張は理にかなっています。無駄だと分かっていて費用を負担する余裕は国にはないのです。日本が順調に経済成長を果たせばいい訳ですが、それには様々な問題があります。また、国債など幾らでも発行すればいいという考え方も存在します。更には医療費そのものについても改革をすすめるべきという意見もありますし、実際に安倍自民党の課題の一つであることは間違いありません。我々が政治に期待しているのはそうした議論を行う事で、これらの議論は社会保障の制度維持とは関連の深いテーマではありますが、ここでは触れません。あくまで日本の経済的な水準があがりもせず下がりもしない前提で、社会保障がどうなるかという予測が行われていますし、それを踏まえた議論すれば「維持は不可能」との結論に達してしまいます。また今後は制度を維持するにあたって、我々の負担も増すでしょう。その時に気持ちよく受け入れるためにも健全な議論によって、理知的に必要性を主張して頂きたいと思います。


感情のみで制度維持を訴える人は、弱者切り捨てを加速する最大の貢献者と言えるのではないでしょうか。


d.hatena.ne.jp
というような記事も拝見しましたけれど、読売の「精神の貧困」と題した記事に代表されるような意見とブコメ群を見ていて思うのは、非常に乱暴に言ってしまうと論理的か非論理的かという大雑把な分類でも十分に有意な分類になってそうだなという印象を持たざるを得ませんね。