時事随筆

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日本にもスラム=階級社会が必要だという話

「我が子が発達障害だ、日本死ね」で国会に上げたいの?何匹目のドジョウなの?って記事ですが
anond.hatelabo.jp
このホームレスに関する増田も読んで、タイトルに書いた感想を持ちました。日本には適切な住み分けがないから息苦しいのだろうと。
anond.hatelabo.jp


話は変わりますが、私の友人には外国人が多くいます。合理的であることを好み、正論は誰が相手でも主張し、過程は見ないで結果でのみ人を評価するという性質ですので、日本人以上に日本に留学や仕事で来るような外国人が付き合いやすく感じるというのもあるでしょう。自然に日本人の友人なども近しい価値観の人間に偏りがちになります。ですので、近しい人が海外で仕事をしている事は、よくあります。そうした親しい友人に会いに行くためであったり趣味で海外へ行くことがあり、インドもその内の一つでした。10年ほど前に親しく付き合っていた人が、インドのバンガロールコルカタあたりで仕事をしていた時に何度かと、半年ほどのバックパッカーでインド沈没を経験した時に訪れました。ブッダガヤではアンタッチャブルの支援をしている日本のお坊さんに、お話を伺ったりした事もあります。私にとってのインドは、思い出の深い外国の一つだと言えます。


ご存知のようにインドにはカースト制度があります。人は生まれた階層によって、住む場所、職業、付き合う相手など、あらゆる制約を受けます。ムンバイにある世界最大級のスラムもその一つでしょう。多くの人はスラム=悪だと思っているのでしょうが、そうでもない側面はあります。スラムの中では、元手の殆どかからない非合法な売買が行われたりする事で、都市に出てきても十分な雇用がない、あるいは文字が読めないなどの理由で職が得られない貧困者が自活する手段を得ることが出来ます。インドに行ったことがあれば、道で靴を磨いたり、髪を切ってくれたり、ボロボロのサンダルや靴を売ってたりするのを見た事があるはずです。
また、スラムの中には自分と同様か、それ以上に厳しい立場の人間しか居ません。もしもスラムがなく、彼らが街の中で生活をするとしたらどうなるでしょう?生活保護を受け取って、支給日にトイチの借金を返したりパチンコに並んだりする生活をしながら、一切働く気がないなどと豪語するクズよりも、余程、強く生きている。それこそ片言の不格好な英語を口にしながら、観光客から幾らでもぼったくろうとする逞しさ、その人間の強さと面白さが、インドの魅力でもあります。
diamond.jp


更にたとえを続けます。発達障害の子を持つ親が、

我が子は積極性奇異型でもあるから、公園にも連れて行きたくない。

施設に相談したら「もう、いっその事、買い物に連れて行かなければいい。買い物は全部生協とネットスーパーのみで乗り切って。」と言われた。

と思うのは、周囲の環境があっていないからという側面があるからでしょう。発達障害の子を施設に預けるのも、同じような子がいる場所で生活する事が幸せに繋がると理解しているからでしょう。公園が、ホームレスや発達障害の子が不通に居て、そこら中で奇声が上がる様な場所であるならば、気後れすることなく連れていけるはずです。学校に上がったとして、クラスの中で我が子の能力が著しく未熟であり、我が子の理解に合わせて授業が行われると他の子の学習の邪魔になるとしたら、更にいたたまれない気持ちに普通はなるでしょうが、他の子も我が子と同様に学習が苦手であれば、そうした心配や気遣いが要りません。


階級によって完全に分断され、あらゆる行動が制限されてしまうカースト制度は害の方が強く感じられてしまう制度ですし、人が生まれによって選択肢を強制的に完全に奪われてしまうなどとあって良い事ではないです。
努力が適切に反映される社会が望ましいと思います。
しかし、非常に優秀な子が幼少から受験勉強をして小学校から名門校に通うのも、養護学校があることも同じです。それは差別ではなく、適切な住み分けと言う区別がなされただけです。
一部の人は適切な区別が与えられた方が、ストレスの少ない生活が送れるのだと思います。だれもが最下層から脱して、少しでもマシな生活をしたくて死に物狂いの努力が出来る訳ではありません。ホームレスがいいと言う人もいる。
社会が階層によって分断される弊害を恐れるあまり、多様性を排除して、一括して皆で豊かで普通の生活者になろう、普通じゃないあなたには国が援助します、とやってきた結果が増田でしょう。


日本にも、ある階級の人しか来て欲しくないと言う三ツ星のレストランやホテルがあり、人々も自然にそこは自分の場所ではないと敬遠する様な欧米の分断された階級社会が必要なのかもしれませんね。自分と同じ階級の人たちの中で暮らす生活には上を見たり下を見たりする苦しさよりも、もっと強く安心感があるのではないかと思います。人と落ち着いて話すのに、その辺りの安い居酒屋で飲むのは嫌だけど、さりとて高級料亭なんて財布が寒くなる、せいぜい一人頭2万以内で収まる落ち着いた料理屋にしませんか?そんな呼吸が通じる人たちで飲むのが一番安心する人が、何故だか同じ店に集まってくる。世の中って、そんなものでしょう。



駄目な奴はダメでいいです。何もしない代わりに、何も求めないから適当に生きてて。その位の方が、変に辛い思いをする人がいなくなるのかもしれないですよ。